講演会「極北の収容所ラーゲリより来た遺書を胸に—今を生きる人たちへ伝えたいこと—」開催レポート

立教大学名誉教授 前田一男

2023/12/12

トピックス

OVERVIEW

10月7日(土)に立教大学キリスト教教育研究所(JICE)主催で開催した公開講演会「極北の収容所ラーゲリより来た遺書を胸に—今を生きる人たちへ伝えたいこと—」のレポートを前田一男名誉教授(JICE所員)に寄せてもらいました。

山本顕一先生(立教大学名誉教授)による立教大学キリスト教教育研究所(JICE)公開講演会「極北の収容所ラーゲリより来た遺書を胸に—今を生きる人たちへ伝えたいこと—」が、対面・オンラインのハイブリッド形式のもと、多くの参加者を得て開催された。この企画に当初からかかわり、講演会でもコーディネイターとして司会を担当したことから、この講演会について簡単に紹介させていただきたい。

講演する山本顕一名誉教授

何と言っても、シベリアでの強制収容所(ラーゲリ)の問題を、山本幡男(1908~1954)の家族への思いを綴った遺書を通して、リアリティをもって考えることが出来た。山本は、元南満州鉄道調査部員で、敗戦を満州で迎えて旧ソ連に抑留され、その後シベリアで過酷な俘虜生活を余儀なくされた。理不尽で過酷な労働と厳しい自然環境のなかでも、生きる希望を捨てず帰国(ダモイ)の日は必ずやってくると仲間たちを励まし続けたが、喉頭がんを患ってしまった山本にダモイは訪れることはなかった(享年45)。しかし、山本が書き綴った4,500字の遺書は、紙で残すことがスパイ行為とみなされることから仲間たち7名が分担して暗記し、戦後山本の家族のもとに届けられた。この物語が「ラーゲリより愛を込めて」というタイトルで映画化され、多くの人々の感動を呼んだ。

この講演会への参加申し込みには「私の叔父もシベリア抑留から帰ってきた人でした。必死な思いで生き抜いて、なんとか帰って来られたという言葉がよみがえりました」「私の父もシベリア抑留者でしたので、身につまされる思いで映画(「ラーゲリより愛を込めて」)を見ました」などの一言を添えてくれる人たちが幾人もいた。しかしそのシベリア抑留にかかわって、当事者は多くを語ろうとはせず鬼籍に入ってしまい、家族はその事実に迫り切れないもどかしい思いを募らせていた。今回の講演会は、約60万人もの日本人が極寒の過酷な状況のなかで抑留されていた事実を改めて知りたい、考えたいという思いや願いを叶える大切な機会になった。山本顕一先生に促されて、98歳の西倉勝さんが3年間の抑留体験を語ってくださった。自分は第二シベリア鉄道建設や森林伐採といった凍てつくなかでの山での労働ではなく、貨物列車の荷物の積み下ろし、農場労働など市内での仕事だったので生き延びることができた、という熱量溢れるお話には会場に緊張感が漲った。

幡男が描いたハイネ詩抄

極限の状況のなかで、人間にとって何が生きる力になるのかという点についても示唆的だったように思う。死亡通知を受け取った幡男の妻モジミが、シベリアの収容所長に夫を知ることができる遺品の提供を歎願したところ、幸運にも幡男の遺品が厚生省を通じて遺族に返還された。それらは日々の詠みあった俳句(アムール句会)であり、世界の情勢を紹介した大判の壁新聞であり、同人誌『文芸』の表紙になった「ロシア女性」「ヌード」「ハイネ」「猟人日記」といった数枚の絵だった。過酷な労働のなかで、帰国への希望を繋ごうとした時、文化部長としてリーダーの役割を果たしながら、山本がどこまでも仲間を励まし続けられたのは、人間の精神的な解放を目指そうとするさまざまな芸術文化活動があったからではないだろうか。絶望を希望に繋ぎ、人間の生きる力を底支えしていた芸術文化活動の価値を再認識させられた。

舞鶴引揚記念館とつないで多くの聴講者が耳を傾けた

池袋の会場と京都府の舞鶴引揚記念館とを、オンライン配信で繋いで講演会が開催できたことも意義あることだった。1945年10月7日、舞鶴に引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港してから13年間にわたり、延べ346隻の引揚船で約66万人が舞鶴に迎え入れられたという。引揚についての貴重な収蔵資料は、ユネスコ世界記憶遺産に登録されており、舞鶴市がその歴史の継承の重大な役割を担っている。この講演会が開催された10月7日は、奇しくも「舞鶴引き揚げの日」の記念日当日だった。この講演会の企画を考えてきた逸見敏郎先生(立教大学学校・社会教育講座教授)とともに、8月上旬に事前打ち合わせで舞鶴引揚記念館を訪問した。引揚桟橋に立ちながら、引き揚げて来た人々と出迎えに来た家族の気持ちを想像せずにはいられなかった。鴨田秋津舞鶴市長も、オンラインでスクリーンに登場していただき、記念館会場の様子を見せてもらいながら、引揚記念館の継承する意義を語っていただいた。

この講演会に前述の通り、311名もの多くの申し込みがあった。そのうち池袋での対面会場には164名もの希望者があり、会場を変更したほどだった。その参加者の年代も特徴的だった。たしかに50代が最も多く(84名)、60代(52名)、70代(50名)と続き、この種の講演会の一般的な傾向で高齢者の割合が多いのかと思いきや、20代(50名)、10代(12名)の参加も多く認めることが出来たのだ。「ラーゲリより愛を込めて」という映画の影響が大きいと思われるが、60名以上の若い世代の参加を得たこと、70年の年齢幅でこの問題を考えられたことは、戦争体験の継承という点で意味があった。

さらに印象的だったのは、先の舞鶴引揚記念館で語り部ボランティアをしている東京在住の男子大学生の発言であり、同じく舞鶴市の女子中学生の発言だった。彼は、無関心で記念館に入って来る高校生が、展示を見ながら語り部の解説を聞くうちに前のめりになっていく姿にやりがいを感じると言い、彼女は、ある式典で形式的な挨拶文を読まされていると思っていたところ、深く頷きながら聞いてくれる参加者に接し自分の姿勢を改めざるを得なかったと発言してくれた。未経験者が自分たちで伝える価値を確認しながら、同じ若い世代に伝承していくあり様を語ってくれたのだ。平和は自覚的に「つくっていくもの」であり、体験者しか継承できないのではという上の世代の固定観念が大きく揺さぶられた。新鮮な感動が広がった。

JICEでは、人権、戦争と平和にかかわって、「人間として、変革の当否をみきわめ、望ましい変革をもたらす主体に生きる」趣旨で、さまざまな研究や研修活動を継続しているが、今回の山本顕一先生の講演会もその精神に合致する企画だった。JICE所員でもある西原廉太立教大学総長も参加され、「ラーゲリから私たちに今も語られ続ける遺言」(『キリスト教新聞』2023.2)を配布していただいた。実際、ロシアのウクライナ侵攻が続いており、さらに新たにイスラエルとガザ地区の戦闘が起こっている。戦争という危機が現実のものとなっているなかで、山本幡男の遺書の意味、シベリア抑留での希望を捨てない生き方は、いま何を伝えてくれているのか、そしてそれをどのように未来に伝えていけるのか、さまざまに考えるヒントがあった公開講演会だった。

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