池袋キャンパスの100年を見守り続ける本館(1号館/モリス館)
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2019/03/04
トピックス
OVERVIEW
築地から池袋への移転を決めた立教大学は、本格的な校舎の建設を構想しました。米国聖公会の強い意向で、その建築の設計に白羽の矢が立ったのが、マーフィーとダナという2人の建築家が共同で経営する建築事務所でした。
1995年の外観修復工事(瓦・外壁修復)後
彼らはニューヨークに拠点を構え、新進気鋭の建築家として、主に米国東海岸で活躍していました。2人は立教のキャンパス建築を当時アメリカで流行していたカレッジ・ゴシック様式でまとめました。その中心となる本館も時計台下通路の尖ったアーチなどに、ゴシックの特徴を見ることができます。
本館の建設費用には、米国聖公会の宣教師A. R. モリスの遺言で寄付された遺産も使われました。モリスは明治初期以来、長らく日本での伝道に従事し1912年に横浜で死去しました。完成した本館は彼を記念して「モリス館」と呼ばれるようになったのです。
本館は関東大震災では大きな被害を受け、屋根を切妻から入母屋に変更するなどの改造をしましたが、現在でも教室として使われ続けています。完成後しばらくして設置された英国デント社製の機械式時計も現役です。
本館の建設費用には、米国聖公会の宣教師A. R. モリスの遺言で寄付された遺産も使われました。モリスは明治初期以来、長らく日本での伝道に従事し1912年に横浜で死去しました。完成した本館は彼を記念して「モリス館」と呼ばれるようになったのです。
本館は関東大震災では大きな被害を受け、屋根を切妻から入母屋に変更するなどの改造をしましたが、現在でも教室として使われ続けています。完成後しばらくして設置された英国デント社製の機械式時計も現役です。
本館の正門側外観[2017年6月]
本館の教室。机と椅子にはユリのマーク [2012年4月]
※本記事は季刊「立教」247号(2019年1月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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