東日本大震災から4年。立教大学 の復興支援のこれまでとこれから
東海新報社記者 鈴木英里 氏、立教大学副総長(教学運営・国際連携担当)・立教大学復興支援本部長 西原廉太
2015/03/11
トピックス
OVERVIEW
2015年3月で東日本大震災から4年が経過します。本学では、2011年4月に「東日本大震災に伴う立教大学の復興支援活動指針」を策定、翌年5月には、陸前高田市と連携及び交流に関する協定を締結し、多様な分野で包括的な連携・協力を進めてきました。しかし、いまだ復興には程遠い現状があります。今回は、本学卒業生であり、岩手県の気仙地方(大船渡市・陸前高田市・住田町)で発行する新聞「東海新報」記者の鈴木英里さんをお招きし、これまでの本学の復興支援について、復興支援本部長西原廉太副総長との対談で振り返りました。
「共に生きる」という精神のもと、人のつながりを重視した息の長い支援を
西原 廉太
西原 鈴木さんは現在、「東海新報」の記者として岩手県沿岸南部で取材をされていますが、2011年に東日本大震災が発生した際は、岩手県の大船渡市にいらしたそうですね。
鈴木 その日は午前中、取材で陸前高田を訪れた後、会社で原稿をまとめて一息ついていたところ、突然大きな揺れに見舞われました。地震が多い地域のため、いつものことかと思っていたら、あまりに激しく長い揺れに、これはいつもとは違うと社内が騒然としました。東海新報社は、海を見晴らす高台に位置しているのですが、窓から見えるいつもはのどかな風景が一転。崖が崩れ落ち、年配者はしきりに津波を心配していました。
西原 震災当日、そのような状況でも取材活動を行ったのですか。
鈴木 はい。とにかく各地の様子を記録しなければという思いが先行し、いま思えば本当に無防備に海へ向かってしまいました。2010年にも津波を経験したのですが、湾内での漁業被害にとどまり、陸地へは被害が及ばなかった事実から、今回もまさか陸地まで波がさらってしまうようなことはないだろうと、恥ずかしながら楽観していました。
西原 皆さんのそうした行動もあって、当日夜には号外を発行されました。会社には被害が無かったのですか。
鈴木 社屋については、高台にあったため大きな被害はなかったのですが、残念ながら1名の社員が津波で亡くなりました。東海新報社は私の祖父が設立し、いまは父が経営しています。そうした姿を小さいころから見ていたためか使命感も手伝い、目の前に起こっていることをとにかく紙面に反映しなければ、という気持ちでいっぱいでした。関東でも大きく揺れたようですが、立教大学は当日どのような様子でしたか。
西原 授業期間ではなかったため、キャンパスにいた学生は普段より少なかったのですが、それでも池袋に約1200人、新座にも約250人がいました。また本学は、都心の巨大ターミナルである池袋駅近くに立地しているため、およそ3300人ものいわゆる「帰宅難民」を受け入れました。そのため、池袋キャンパスでは合計4500人もの避難者が不安な一夜を共に過ごしました。職員たちの献身的なサポートもあり、微力ではありましたが地域に貢献できました。一方で、本学は2003年より岩手県陸前高田市で林業体験を実施するなど、相互交流を深めていたため、現地の皆さんの安否が心配で、いてもたってもいられない状況で ……。ほどなく、学内でもさまざまなところで自然発生的に募金活動や情報収集などが始まりました。
鈴木 私たちも同じ思いでした。東海新報は大船渡市、陸前高田市、住田町のエリアに根差した地域紙で、読者の方は皆さん、家族や友人を介して誰かしらとつながっているという意識があります。こうした顔の見える隣人の皆さんと、共に悲しみやつらさを共有してきました。さらに自分たちも被災者なのでどんな情報が必要か分かっていたため、当初は外部への発信ではなく、地域の皆さんが必要とする情報を取材し掲載していました。
西原 本学では、現場レベルの手探りの支援を、息の長い継続的で組織的な支援に昇華させるために、総長室を中心にさまざまな検討を重ね、約1カ月後の4月22日には本学の復興支援の指針を定め、「立教大学東日本大震災復興支援本部」を設置するに至りました。その軸となった考えは、立教学院が大切にする教育テーマの一つでもある「共に生きる」ということです。聖書の一節に「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とありますが、隣人とはこの世界で苦しんでいる人、悲しんでいる人、重荷を背負っている人たちを指します。震災直後の陸前高田市を私も訪れましたが、「復興」という言葉を簡単に口にできる状態ではありませんでした。人的・物的支援もさることながら、被災者の皆さんとのつながりを大切に、長期にわたって共に歩んでいく必要性を強く感じたのです。
鈴木 その日は午前中、取材で陸前高田を訪れた後、会社で原稿をまとめて一息ついていたところ、突然大きな揺れに見舞われました。地震が多い地域のため、いつものことかと思っていたら、あまりに激しく長い揺れに、これはいつもとは違うと社内が騒然としました。東海新報社は、海を見晴らす高台に位置しているのですが、窓から見えるいつもはのどかな風景が一転。崖が崩れ落ち、年配者はしきりに津波を心配していました。
西原 震災当日、そのような状況でも取材活動を行ったのですか。
鈴木 はい。とにかく各地の様子を記録しなければという思いが先行し、いま思えば本当に無防備に海へ向かってしまいました。2010年にも津波を経験したのですが、湾内での漁業被害にとどまり、陸地へは被害が及ばなかった事実から、今回もまさか陸地まで波がさらってしまうようなことはないだろうと、恥ずかしながら楽観していました。
西原 皆さんのそうした行動もあって、当日夜には号外を発行されました。会社には被害が無かったのですか。
鈴木 社屋については、高台にあったため大きな被害はなかったのですが、残念ながら1名の社員が津波で亡くなりました。東海新報社は私の祖父が設立し、いまは父が経営しています。そうした姿を小さいころから見ていたためか使命感も手伝い、目の前に起こっていることをとにかく紙面に反映しなければ、という気持ちでいっぱいでした。関東でも大きく揺れたようですが、立教大学は当日どのような様子でしたか。
西原 授業期間ではなかったため、キャンパスにいた学生は普段より少なかったのですが、それでも池袋に約1200人、新座にも約250人がいました。また本学は、都心の巨大ターミナルである池袋駅近くに立地しているため、およそ3300人ものいわゆる「帰宅難民」を受け入れました。そのため、池袋キャンパスでは合計4500人もの避難者が不安な一夜を共に過ごしました。職員たちの献身的なサポートもあり、微力ではありましたが地域に貢献できました。一方で、本学は2003年より岩手県陸前高田市で林業体験を実施するなど、相互交流を深めていたため、現地の皆さんの安否が心配で、いてもたってもいられない状況で ……。ほどなく、学内でもさまざまなところで自然発生的に募金活動や情報収集などが始まりました。
鈴木 私たちも同じ思いでした。東海新報は大船渡市、陸前高田市、住田町のエリアに根差した地域紙で、読者の方は皆さん、家族や友人を介して誰かしらとつながっているという意識があります。こうした顔の見える隣人の皆さんと、共に悲しみやつらさを共有してきました。さらに自分たちも被災者なのでどんな情報が必要か分かっていたため、当初は外部への発信ではなく、地域の皆さんが必要とする情報を取材し掲載していました。
西原 本学では、現場レベルの手探りの支援を、息の長い継続的で組織的な支援に昇華させるために、総長室を中心にさまざまな検討を重ね、約1カ月後の4月22日には本学の復興支援の指針を定め、「立教大学東日本大震災復興支援本部」を設置するに至りました。その軸となった考えは、立教学院が大切にする教育テーマの一つでもある「共に生きる」ということです。聖書の一節に「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とありますが、隣人とはこの世界で苦しんでいる人、悲しんでいる人、重荷を背負っている人たちを指します。震災直後の陸前高田市を私も訪れましたが、「復興」という言葉を簡単に口にできる状態ではありませんでした。人的・物的支援もさることながら、被災者の皆さんとのつながりを大切に、長期にわたって共に歩んでいく必要性を強く感じたのです。
陸前高田は学生にも、教職員にとっても新たな学びを得られる第二のキャンパス
鈴木 英里 氏
西原 被害が広範囲に及ぶ中、すべての地域を等しく支援することは困難だと考え、かねてから交流のあった陸前高田市を重点的に支援させていただくことになりました。震災があった2011年の夏から「陸前高田支援ボランティア」を実施し、翌2012年5月には、陸前高田市の震災復興に向けた地域課題の解決と地域活性化の実現、発展に寄与することを目的に相互協定を結び、現在も本格的に取り組んでいます。
鈴木 立教大学の皆さんが、陸前高田市を中心にさまざまな支援を行ってきた様子を、東海新報でも数多く取材させていただき、この4年間、母校の献身的な支援をずっと見つめてきました。まずはこの場を借りてお礼申し上げます。
西原 こちらこそ、陸前高田市の皆さまには学生はもちろん、われわれ教員や職員にとっても貴重な学びの場を提供いただき感謝しています。実のところ学生に大きな貢献ができるわけではありません。しかし、参加学生から「私たちにとってそこで出会った人たちは、被災地の人ではなくて陸前高田の人となりました。これからは被災地としてくくるのではなく、それぞれの街をしっかりと見ていきたい」といった感想が寄せられていることからも分かるように、被災地の方々と出会い、気づかされたことはたくさんあったと思います。そして、「共に生きる」ことの大切さをしっかりと感じとったのではないかと思っています。自分とは何か、自分は何のために生きているかという問いを与えられ、その問いの答えを立教大学での学びを通して見つけることで、きっと将来社会に貢献できる人間へと成長してくれるでしょう。
鈴木 陸前高田に限らず被災地はもともと若者が少ない地域なので、学生の皆さんが来てくれるだけで、本当に励まされます。いま現地には、風化が進みこのまま忘れ去られてしまうのではないかという危機感があります。当時はつらい思いを伝えられなくても、いまは少しずつ伝えたいと思うようになった方がたくさんいます。そういう方々にとって、4年経ったいまでもこうして現地に足を運んで話を聞いていただけるのは、それだけで心の支えになります。
西原 現地の方が学生に語ってくれた「何もしなくてもいい。ただそこに生きていてくれれば」という声に象徴されていますが、学生は「命の尊厳」のメッセージをしっかりと受け取っています。こうしたボランティアを経験した学生たちの感想を、「活動ふりかえりレポート」として冊子にまとめているのですが、こちらを陸前高田市の戸羽太市長にお送りしたところ、次のようなメッセージを学生たちに送ってくださいました。
「皆さんがボランティアで経験された事、感じた事は皆さんの今後の人生に必ず生かしてください。多くの犠牲の上に皆さんの経験があったという事を忘れないでください」
このメッセージをいただき、学生だけではなく職員も含めて陸前高田に行く意味を、改めて問い直すことができました。「多くの犠牲の上に経験があった」ことを真摯に捉え、ボランティアに参加した学生だけではなく、こうしたレポートを通して間接的に現地の様子を知った学生たちにも、何かしらの気づきを得てほしいと思います。
鈴木 戸羽市長のメッセージには、まさに地元の人すべての思いが詰まっています。今回の震災で、人は衣食住だけで生きているわけではないと痛感しました。心を癒やしてくれるもの、豊かにしてくれるものがあって、初めて人間らしく生きることができるのだと。津波で流出した図書館の再建にあたり、立教大学の皆さんには全国からの支援で集まった本の仕分けを手伝っていただきましたし、立教大学ご出身で作家の上橋菜穂子さんの講演会も実現していただきました。こうした文化的な交流も、大切な復興の一部なのだと私自身改めて認識したのです。
西原 陸前高田市は沿岸の平地に都市機能が集中しており、公共設備がすべて流出しました。ちょうど立教大学では新しい図書館の建設が行われており、使用されなくなった備品を、再建中の図書館に寄付させていただいたのです。しかし同様に、全国からの寄付で集まった本をどのように仕分けして書架に収容するべきかという課題がありました。そこで、本学の司書課程の学生がその専門性を生かし、ボランティアをさせていただきました。
また市民の学びの拠点としてより多くの方に活用いただきたいと願う中で、国際アンデルセン賞を受賞された作家の上橋菜穂子さんに「物語ること、生きること」と題し、作家としての活動や学生時代をはじめとしたこれまでの経験を通して得た「物語ることの喜び、生きることの喜び」を陸前高田の皆さんにお話しいただきました。こうした活動を通し、私たちも本当に現地の方々にとって必要なものは何かといったことを踏まえながら支援することの大切さを、教えていただくことができました。
鈴木 立教大学の皆さんが、陸前高田市を中心にさまざまな支援を行ってきた様子を、東海新報でも数多く取材させていただき、この4年間、母校の献身的な支援をずっと見つめてきました。まずはこの場を借りてお礼申し上げます。
西原 こちらこそ、陸前高田市の皆さまには学生はもちろん、われわれ教員や職員にとっても貴重な学びの場を提供いただき感謝しています。実のところ学生に大きな貢献ができるわけではありません。しかし、参加学生から「私たちにとってそこで出会った人たちは、被災地の人ではなくて陸前高田の人となりました。これからは被災地としてくくるのではなく、それぞれの街をしっかりと見ていきたい」といった感想が寄せられていることからも分かるように、被災地の方々と出会い、気づかされたことはたくさんあったと思います。そして、「共に生きる」ことの大切さをしっかりと感じとったのではないかと思っています。自分とは何か、自分は何のために生きているかという問いを与えられ、その問いの答えを立教大学での学びを通して見つけることで、きっと将来社会に貢献できる人間へと成長してくれるでしょう。
鈴木 陸前高田に限らず被災地はもともと若者が少ない地域なので、学生の皆さんが来てくれるだけで、本当に励まされます。いま現地には、風化が進みこのまま忘れ去られてしまうのではないかという危機感があります。当時はつらい思いを伝えられなくても、いまは少しずつ伝えたいと思うようになった方がたくさんいます。そういう方々にとって、4年経ったいまでもこうして現地に足を運んで話を聞いていただけるのは、それだけで心の支えになります。
西原 現地の方が学生に語ってくれた「何もしなくてもいい。ただそこに生きていてくれれば」という声に象徴されていますが、学生は「命の尊厳」のメッセージをしっかりと受け取っています。こうしたボランティアを経験した学生たちの感想を、「活動ふりかえりレポート」として冊子にまとめているのですが、こちらを陸前高田市の戸羽太市長にお送りしたところ、次のようなメッセージを学生たちに送ってくださいました。
「皆さんがボランティアで経験された事、感じた事は皆さんの今後の人生に必ず生かしてください。多くの犠牲の上に皆さんの経験があったという事を忘れないでください」
このメッセージをいただき、学生だけではなく職員も含めて陸前高田に行く意味を、改めて問い直すことができました。「多くの犠牲の上に経験があった」ことを真摯に捉え、ボランティアに参加した学生だけではなく、こうしたレポートを通して間接的に現地の様子を知った学生たちにも、何かしらの気づきを得てほしいと思います。
鈴木 戸羽市長のメッセージには、まさに地元の人すべての思いが詰まっています。今回の震災で、人は衣食住だけで生きているわけではないと痛感しました。心を癒やしてくれるもの、豊かにしてくれるものがあって、初めて人間らしく生きることができるのだと。津波で流出した図書館の再建にあたり、立教大学の皆さんには全国からの支援で集まった本の仕分けを手伝っていただきましたし、立教大学ご出身で作家の上橋菜穂子さんの講演会も実現していただきました。こうした文化的な交流も、大切な復興の一部なのだと私自身改めて認識したのです。
西原 陸前高田市は沿岸の平地に都市機能が集中しており、公共設備がすべて流出しました。ちょうど立教大学では新しい図書館の建設が行われており、使用されなくなった備品を、再建中の図書館に寄付させていただいたのです。しかし同様に、全国からの寄付で集まった本をどのように仕分けして書架に収容するべきかという課題がありました。そこで、本学の司書課程の学生がその専門性を生かし、ボランティアをさせていただきました。
また市民の学びの拠点としてより多くの方に活用いただきたいと願う中で、国際アンデルセン賞を受賞された作家の上橋菜穂子さんに「物語ること、生きること」と題し、作家としての活動や学生時代をはじめとしたこれまでの経験を通して得た「物語ることの喜び、生きることの喜び」を陸前高田の皆さんにお話しいただきました。こうした活動を通し、私たちも本当に現地の方々にとって必要なものは何かといったことを踏まえながら支援することの大切さを、教えていただくことができました。
陸前高田で何かしらの「光」を見つけ、学生たちから国内外に発信してほしい
授業のゲストスピーカーとしてお話をする鈴木さん (2014年12月16日新座キャンパスN851教室)
西原 鈴木さんには2014年12月に、新座キャンパスで開講する科目「社会で学ぶこと、立教生ができること」のゲストスピーカーとして、学生たちの前でお話しいただきましたが、どのような印象を持たれましたか。
鈴木 陸前高田を訪れてくれる学生の皆さんの前でお話しさせていただく際は、興味や関心を抱いてくださっているわけなので、ダイレクトに話が伝わりやすいのですが、授業でお話しするとなると、すべての方が興味関心を寄せてくれるわけではないと覚悟して臨みました。
ところが、いまでも多くの方が仮設住宅での生活を強いられていること、子どもたちが置かれている状況、そしていまだに多くの行方不明者がおり、捜索が続けられているという話になったとき、明らかに学生の皆さんの様子が変化したのが分かりました。単に知らないから興味がなかっただけで、しっかりとこちらが訴えれば、それも飾った言葉ではなく、真摯に淡々と、いまもこうした状況が続いていて、過去の一点の出来事ではないという話をすれば、学生の皆さんにはしっかり伝わるのだと手応えを感じました。
「興味を持っていなかったけど、今日初めて知ったことにショックを受けた」「これまで何かしたいと思いながらも一歩が踏み出せなかった。今日の話を聞き、陸前高田に行くことに決めた」といった素直な反応があり、発信し続けていく必要性を改めて感じる場となりました。そして、被災地を訪れた学生の皆さんにも現地で見聞きしたことを東京で、さらには世界に向けて発信していただければ本当に心強いです。
西原 「活動ふりかえりレポート」もそうですが、現地での見聞を自分の中にとどめるのではなく、それをきちんと第三者に伝えていくことが大切です。それを象徴するものとして、2012年度から毎年12月に東京芸術劇場で「交流展」(「つながる。陸前高田と立教大学」交流展)を開催しています。そこでは、私たちが現在行っている陸前高田での活動状況や現地の様子を写真で展示しており、ボランティアを経験した学生たちも案内役として参加します。戸羽市長にも毎年お越しいただき、講演していただいています。来場いただいた皆さんにとって、陸前高田の現状を知っていただくよい機会になればと思っています。
また、留学生とこれから海外に留学する日本人学生が参加する、「陸前高田スタディツアー」をこれまで2回開催しました。そこに参加する学生たちには、現地で出会った方々の声や思いを世界に向けて発信してくれることを期待しています。本学は2014年、文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援」に採択されましたが、グローバルに活躍できる者とは、こうした被災地の方々が大切にしている思いまでも、自分の言葉で伝えることができる人間かもしれません。
鈴木 観光は「光を観る」と書きます。私たちが地元にいるとなかなか気付けないことに、学生の皆さんは気付いてくれる。陸前高田にはこんなにいいところがあるじゃないかと地域の「光」を見つけてくれます。それを今後も教えていただけたらうれしいです。これからは被災地という目線ではなく、美しく再生の道を歩む陸前高田に観光に来るという、気軽な気持ちで来ていただければ。こうして交流人口が増えることで、地元の人は元気づけられるのです。ここ陸前高田で何かしらの光を見つけ、ぜひそれを発信していただきたいですね。
2014年7月の東海新報で、立教大学野球部の皆さんが、スポーツ交流教室を開催した模様を紹介させていただきました。高田高校(岩手県)在籍時に被災し、立教大学に進学した選手は、「これでようやく恩返しができると思うとうれしい」と話していました。4年経ったいま、かつて支援された側が支援する側にまわっていると思うと感慨深いですね。
西原 今後、立教大学が情報発信のハブ的な役割を担い、陸前高田の皆さんの声やニーズを国内外に届けていく。そして世界からのさまざまな支援や祈りの気持ちをつなげ、陸前高田に届けることが私たちの新たな使命になっていくと思っています。本日はありがとうございました。
(2015年1月21日 池袋キャンパス太刀川記念館にて)
鈴木 陸前高田を訪れてくれる学生の皆さんの前でお話しさせていただく際は、興味や関心を抱いてくださっているわけなので、ダイレクトに話が伝わりやすいのですが、授業でお話しするとなると、すべての方が興味関心を寄せてくれるわけではないと覚悟して臨みました。
ところが、いまでも多くの方が仮設住宅での生活を強いられていること、子どもたちが置かれている状況、そしていまだに多くの行方不明者がおり、捜索が続けられているという話になったとき、明らかに学生の皆さんの様子が変化したのが分かりました。単に知らないから興味がなかっただけで、しっかりとこちらが訴えれば、それも飾った言葉ではなく、真摯に淡々と、いまもこうした状況が続いていて、過去の一点の出来事ではないという話をすれば、学生の皆さんにはしっかり伝わるのだと手応えを感じました。
「興味を持っていなかったけど、今日初めて知ったことにショックを受けた」「これまで何かしたいと思いながらも一歩が踏み出せなかった。今日の話を聞き、陸前高田に行くことに決めた」といった素直な反応があり、発信し続けていく必要性を改めて感じる場となりました。そして、被災地を訪れた学生の皆さんにも現地で見聞きしたことを東京で、さらには世界に向けて発信していただければ本当に心強いです。
西原 「活動ふりかえりレポート」もそうですが、現地での見聞を自分の中にとどめるのではなく、それをきちんと第三者に伝えていくことが大切です。それを象徴するものとして、2012年度から毎年12月に東京芸術劇場で「交流展」(「つながる。陸前高田と立教大学」交流展)を開催しています。そこでは、私たちが現在行っている陸前高田での活動状況や現地の様子を写真で展示しており、ボランティアを経験した学生たちも案内役として参加します。戸羽市長にも毎年お越しいただき、講演していただいています。来場いただいた皆さんにとって、陸前高田の現状を知っていただくよい機会になればと思っています。
また、留学生とこれから海外に留学する日本人学生が参加する、「陸前高田スタディツアー」をこれまで2回開催しました。そこに参加する学生たちには、現地で出会った方々の声や思いを世界に向けて発信してくれることを期待しています。本学は2014年、文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援」に採択されましたが、グローバルに活躍できる者とは、こうした被災地の方々が大切にしている思いまでも、自分の言葉で伝えることができる人間かもしれません。
鈴木 観光は「光を観る」と書きます。私たちが地元にいるとなかなか気付けないことに、学生の皆さんは気付いてくれる。陸前高田にはこんなにいいところがあるじゃないかと地域の「光」を見つけてくれます。それを今後も教えていただけたらうれしいです。これからは被災地という目線ではなく、美しく再生の道を歩む陸前高田に観光に来るという、気軽な気持ちで来ていただければ。こうして交流人口が増えることで、地元の人は元気づけられるのです。ここ陸前高田で何かしらの光を見つけ、ぜひそれを発信していただきたいですね。
2014年7月の東海新報で、立教大学野球部の皆さんが、スポーツ交流教室を開催した模様を紹介させていただきました。高田高校(岩手県)在籍時に被災し、立教大学に進学した選手は、「これでようやく恩返しができると思うとうれしい」と話していました。4年経ったいま、かつて支援された側が支援する側にまわっていると思うと感慨深いですね。
西原 今後、立教大学が情報発信のハブ的な役割を担い、陸前高田の皆さんの声やニーズを国内外に届けていく。そして世界からのさまざまな支援や祈りの気持ちをつなげ、陸前高田に届けることが私たちの新たな使命になっていくと思っています。本日はありがとうございました。
(2015年1月21日 池袋キャンパス太刀川記念館にて)
【プロフィール】鈴木英里 氏
東海新報社記者。
2002年3月文学部日本文学科卒業。岩手県生まれ。大学卒業後、東京の出版社に勤務ののち、2007年に帰郷し、大船渡市、陸前高田市、住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」を発行する東海新報社に入社。現在は、陸前高田市を担当。
2002年3月文学部日本文学科卒業。岩手県生まれ。大学卒業後、東京の出版社に勤務ののち、2007年に帰郷し、大船渡市、陸前高田市、住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」を発行する東海新報社に入社。現在は、陸前高田市を担当。
【プロフィール】西原廉太
立教大学副総長(教学運営・国際連携担当)、立教大学復興支援本部長、文学部キリスト教学科・キリスト教学研究科教授。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻修了。博士(神学)。立教学院副院長・常務理事。世界教会協議会(WCC)中央委員、世界聖公会大学連合(CUAC)理事。日本基督教学会前専務理事。著書に、『聖公会の職制論─エキュメニカル対話の視点から─』(聖公会出版、2013年)、共著に、Markham, Ian S., J. Barney Hawkins IV, Justyn Terry, and Leslie Nunez Steffensen (eds.) 2013, The Wiley-Blackwell Companion to the Anglican Communion, Oxford:Wiley-Blackwell ほか多数。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。
※本記事は季刊「立教」232号 (2015年3月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
CATEGORY
このカテゴリの他の記事を見る
トピックス
2024/11/25
立教大学の英語名「St. Paul's」から「RIKKYO」...
写真で見る立教いま・むかし