映画『君の名は。』の中に見え隠れする「未来への警告」を教育はいかに捉えるべきか
文学部教育学科准教授 渡辺 哲男
2017/05/08
研究活動と教授陣
OVERVIEW
2016年8月の公開以来、動員数は300万人を突破し、歴代興行収入ランキングで第4位※、公開から半年以上たった現在も週間ランキングで10位に入る、驚異の大ヒットを記録した長編アニメーション映画『君の名は。』。なぜ異例のヒットを生んだのか。作品から読み取れることとは──。教育学の観点から文学部の渡辺哲男准教授に伺いました。
映画『君の名は。』のヒットについて どのように分析されていますか。
東京に住む男子高生・瀧(たき)と山深い田舎町に住む女子高生・三葉(みつは)。二人はある日、互いの心が入れ替わっていることに気付く。何度も繰り返されるうちに夢ではない、現実だと分かり……。
『君の名は。』では、観る人が潜在的に持っている感情が再現されるようにストーリーが進んでいきます。これは、アリストテレスが『詩学』の中で示したカタルシス(精神の浄化)そのものと言えるでしょう。意外性のあるストーリーというより、むしろ観る人がこうなるだろうと思える展開になったことで、心の中に鬱積(うっせき)している同種の情緒を解放し、カタルシスを得られやすかったことも、本作品がヒットした要因の一つだと考えています。
物語の後半、三葉の町にある種の破局が迫りますが、普通に考えるとあり得ない非日常的な設定です。しかし、本作品がヒットしたということは、東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故という、多くの人があり得ないと思っていた想定外の出来事を実際に経験してしまった私たちが、「あるかもしれない」と受け入れられたことを示しています。『君の名は。』は、「震災後」という歴史を生きる人々ならではの思考の産物でもあるということは、言っておいてよいでしょう。
恋愛ストーリーとしても十分楽しめますが、深読みしたらしたで、さらに面白みが増すという、優れたエンターテインメント作品である一方、この映画は、これからの教育のあり方の一つの可能性を示していると考えることもできます。
『君の名は。』では、観る人が潜在的に持っている感情が再現されるようにストーリーが進んでいきます。これは、アリストテレスが『詩学』の中で示したカタルシス(精神の浄化)そのものと言えるでしょう。意外性のあるストーリーというより、むしろ観る人がこうなるだろうと思える展開になったことで、心の中に鬱積(うっせき)している同種の情緒を解放し、カタルシスを得られやすかったことも、本作品がヒットした要因の一つだと考えています。
物語の後半、三葉の町にある種の破局が迫りますが、普通に考えるとあり得ない非日常的な設定です。しかし、本作品がヒットしたということは、東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故という、多くの人があり得ないと思っていた想定外の出来事を実際に経験してしまった私たちが、「あるかもしれない」と受け入れられたことを示しています。『君の名は。』は、「震災後」という歴史を生きる人々ならではの思考の産物でもあるということは、言っておいてよいでしょう。
恋愛ストーリーとしても十分楽しめますが、深読みしたらしたで、さらに面白みが増すという、優れたエンターテインメント作品である一方、この映画は、これからの教育のあり方の一つの可能性を示していると考えることもできます。
本作品からどのような教育の可能性が 見いだせるのでしょうか。
教育哲学が専門の山名淳氏は、『災害と厄災の記憶を伝える:教育学は何ができるのか』(2017年1月、勁草書房)という書籍に、ユダヤ系哲学者であるギュンター・アンダースが、1950年代に広島を訪れた際のエピソードを基に、「広島のアンダース」という論文を寄せています。
アンダースは、戦後の広島の復興を目の当たりにし、原子爆弾の投下という大変な悲劇を経験したにもかかわらず、原爆ドームは別として、「何もなかったことになっている」と批判しました。つまり、剥き出しの惨劇の状態を残すことで、「考え方を改めなければ、再びこうした悲劇が起こる」という警告をすべきであり、それがなかったかのごとく、きれいに復興することは、「破壊の破壊」だと主張しています。
この主張は、剥き出しの破局を示すことで、未来に対する不安をあえてかき立てるべきだというものです。我々は未来に訪れる破局を想起し、そうならないためにできることを未来から逆算して考え学ぶべきだというわけです。
これまでの教育は、「より善い未来」のための教育を前提とし、「このままだとこんな悪いことになる」と子どもの不安を煽るような教育のやり方は退けられてきました。しかし、この映画の中で、三葉が破局を避けるために人々を説得する姿は、具体的に見える破局から逆算して、いま何をすべきかを考える、言ってみれば「警告の教育学」の可能性を提示しているのです。
アンダースは、戦後の広島の復興を目の当たりにし、原子爆弾の投下という大変な悲劇を経験したにもかかわらず、原爆ドームは別として、「何もなかったことになっている」と批判しました。つまり、剥き出しの惨劇の状態を残すことで、「考え方を改めなければ、再びこうした悲劇が起こる」という警告をすべきであり、それがなかったかのごとく、きれいに復興することは、「破壊の破壊」だと主張しています。
この主張は、剥き出しの破局を示すことで、未来に対する不安をあえてかき立てるべきだというものです。我々は未来に訪れる破局を想起し、そうならないためにできることを未来から逆算して考え学ぶべきだというわけです。
これまでの教育は、「より善い未来」のための教育を前提とし、「このままだとこんな悪いことになる」と子どもの不安を煽るような教育のやり方は退けられてきました。しかし、この映画の中で、三葉が破局を避けるために人々を説得する姿は、具体的に見える破局から逆算して、いま何をすべきかを考える、言ってみれば「警告の教育学」の可能性を提示しているのです。
「警告の教育学」から見えてくる教育 の課題とは何でしょうか。
写真:読売新聞/アフロ
私たちは、未来に破局があると言われても、それをなかなか信じようとはしません。しかし、まずそれを信じなければ、「警告の教育学」なるものは成り立ちません。
『君の名は。』では、迫る破局を避けるべく、三葉が町長である父親を説得しようとするわけですが、最終的にどうやって彼を説得したのかは描かれていません。しかし、この映画で重要なポイントは「いかに父親に破局を信じさせたか」という過程なのです。
三葉が「巫女=神の子」だったからと考えることはできますが、三葉が目の前の事実を自分なりに意味づけて友達や父親を説得できたのは、おそらく自分の力を信じてそれを言葉にできたからでしょう。
具体的に未来をイメージして考え始めることができるように、我々はいま何ができるのか。「破局はまたやって来る」という事実をどうやって信じ、備えるか。それがこれからの教育学に与えられた課題です。
『君の名は。』では、その過程が描かれていませんでしたが、その空白を埋めることが、我々に課された宿題なのでしょう。
『君の名は。』では、迫る破局を避けるべく、三葉が町長である父親を説得しようとするわけですが、最終的にどうやって彼を説得したのかは描かれていません。しかし、この映画で重要なポイントは「いかに父親に破局を信じさせたか」という過程なのです。
三葉が「巫女=神の子」だったからと考えることはできますが、三葉が目の前の事実を自分なりに意味づけて友達や父親を説得できたのは、おそらく自分の力を信じてそれを言葉にできたからでしょう。
具体的に未来をイメージして考え始めることができるように、我々はいま何ができるのか。「破局はまたやって来る」という事実をどうやって信じ、備えるか。それがこれからの教育学に与えられた課題です。
『君の名は。』では、その過程が描かれていませんでしたが、その空白を埋めることが、我々に課された宿題なのでしょう。
渡辺准教授の3つの視点
- 「震災後」の人々の感情がストーリーに再現されていることがヒットにつながった
- 今後再び破局的な状況が起こり得るという考えを、私たちが持てるかどうか
- 破局を回避するための「警告」ができる人間を育てるという教育の一つの可能性
(2017年2月取材)
※本記事は季刊「立教」240号(2017年4月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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プロフィール
PROFILE
渡辺 哲男
2006年3月 日本女子大学大学院人間社会研究科教育学専攻博士後期課程単位取得満期退学、博士(教育学)。
日本女子大学人間社会学部助手・助教、滋賀大学教育学部講師等を経て、2013年4月より、現職。
著書に『「国語」教育の思想─声と文字の諸相』(2010年、勁草書房)等。
専門は、国語科教育、教育思想史。
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