講演会「〈声の森〉を歩くために:ESDの中の生態学と文学」 開催レポート
戸張 雅登 さん(異文化コミュニケーション研究科異文化コミュニケーション専攻 博士課程後期課程4年次)
2016/05/24
研究活動と教授陣
OVERVIEW
講演会の様子をお届けします。
ESD研究所主催
日時 | 2016年3月14日(土)14日(月)17:00~19:00 |
会場 | 池袋キャンパス 5号館 1階 5122教室 |
講演者 | 野田 研一(ESD研究所所長、異文化コミュニケーション研究科教授) 上田 恵介(ESD研究所所員、理学部・同研究科教授) |
講演会レポート
本講演会では、アメリカ文学と環境文学が専門の野田研一先生と、鳥の行動生態学と進化生物学が専門の上田恵介先生より、それぞれの専門分野のお立場からESDに求められるものについてお話いただき、その後お二人による対談が行われました。理系と文系という異なる分野の研究者が登壇し意見を通わすという、他ではあまり例を見ない貴重な機会だったと言えるでしょう。
さて、今回の講演会に両者の発表に共通するテーマは「多様な世界とその必要性」ではないかと思います。野田先生も上田先生もアメリカの生物学者レイチェル・カーソン著『沈黙の春』(青樹 簗一訳、1964年、新潮社)を取り上げ、野田先生は他者の喪失という観点から、上田先生は生物多様性を損なうという観点から、近視眼的な利益追求主義の副産物である公害を問題にしました。
さて、今回の講演会に両者の発表に共通するテーマは「多様な世界とその必要性」ではないかと思います。野田先生も上田先生もアメリカの生物学者レイチェル・カーソン著『沈黙の春』(青樹 簗一訳、1964年、新潮社)を取り上げ、野田先生は他者の喪失という観点から、上田先生は生物多様性を損なうという観点から、近視眼的な利益追求主義の副産物である公害を問題にしました。
野田研一教授
野田先生は長年「交感」という概念を基にして、他者論に取り組んでこられました。本講演で心理学者のやまだようこ著『共鳴してうたうこと・自身の声がうまれること』(1996年、新曜社)を引用した上で、「呼応し、反応し、感応し、同調する」ことが「交感的関係」であると定義されました。それは、一方が主体で、他方が客体ということではなく、共に主体として対等であるような関係のことを指します。人間のみならず自然、とりわけ野生生物もまた他者であり、交感的関係を私たちと結ぶ存在であると野田先生は言います。
次に哲学者のデイビッド・エイブラム著『言語の果肉-感覚的なるものの魔術』(結城正美訳、1998年、松柏社)を取り上げ、鳥の種類が減り、生物多様性が減少するにつれ、人間の語りも「貧弱で中身が空っぽ」になっていくことを指摘しました。エイブラムによれば、言語は自然を基盤に成立しているところが大きいようです。「社会や文化は生物多様性から恩恵を受けているので、自然が乱されれば人間も損害を被る」という視点は後述する上田先生にも見られましたが、それに加えて文学者の野田先生が特に着目したのは文学と世界との関係でした。文学は人間と自然との交感的関係を捉えようとしてきましたが、自然を言語で表現しているうちに、言語が現実の自然と対応しているかどうか作家は忘れてしまい、むしろ世界(自然)から遠ざかってしまうのではないか、というアメリカの作家エドワード・アビーの説を紹介されました。これは、環境文学の抱えるジレンマであると言えるでしょう。
次に哲学者のデイビッド・エイブラム著『言語の果肉-感覚的なるものの魔術』(結城正美訳、1998年、松柏社)を取り上げ、鳥の種類が減り、生物多様性が減少するにつれ、人間の語りも「貧弱で中身が空っぽ」になっていくことを指摘しました。エイブラムによれば、言語は自然を基盤に成立しているところが大きいようです。「社会や文化は生物多様性から恩恵を受けているので、自然が乱されれば人間も損害を被る」という視点は後述する上田先生にも見られましたが、それに加えて文学者の野田先生が特に着目したのは文学と世界との関係でした。文学は人間と自然との交感的関係を捉えようとしてきましたが、自然を言語で表現しているうちに、言語が現実の自然と対応しているかどうか作家は忘れてしまい、むしろ世界(自然)から遠ざかってしまうのではないか、というアメリカの作家エドワード・アビーの説を紹介されました。これは、環境文学の抱えるジレンマであると言えるでしょう。
上田恵介教授
一方、生物学者の上田先生は、進化の過程における必然としての生物多様性から話し始められました。暑さや乾燥、寒さなど、異なる自然環境に適応したものだけが、その土地で生き残ってきました。それが進化であり、ゆえに、世界には約3,000万種とも言われる種が存在するのだそうです。ヤーコプ・フォン・ユクスキュル著『生物から見た世界』(日高敏隆・羽田節子共訳、1973年、思索社)によれば、生物は種によって感覚器官が異なるため、知覚できる世界が違います。世界には多様な種がいますが、花が鳥や虫という送粉者と共進化してきたように、生物は一種だけでは生きていけず、他の種と相互に関係しながら生きてきたと上田先生は言います。
そのような中で、人間だけがどの環境にも適応してきましたが、人間一種だけでは人間的な生活は成立しないようです。自然から人間が受ける恩恵は生態系サービスと呼ばれ、基盤的サービスに加え、供給サービス、調節的サービス、文化的サービスがあり、なかでも上田先生は文化的サービスに着目されました。日本の伝統色の多くは動植物から取られており、世界的に見ても、地域固有のデザインは生物をモチーフに使うことが多いそうです。「自然と人間のコミュニケーションとは文化を作っていく行為そのもので、人間は自然から精神的な恵みを頂いている」という上田先生の言葉が印象深かったです。
そのような中で、人間だけがどの環境にも適応してきましたが、人間一種だけでは人間的な生活は成立しないようです。自然から人間が受ける恩恵は生態系サービスと呼ばれ、基盤的サービスに加え、供給サービス、調節的サービス、文化的サービスがあり、なかでも上田先生は文化的サービスに着目されました。日本の伝統色の多くは動植物から取られており、世界的に見ても、地域固有のデザインは生物をモチーフに使うことが多いそうです。「自然と人間のコミュニケーションとは文化を作っていく行為そのもので、人間は自然から精神的な恵みを頂いている」という上田先生の言葉が印象深かったです。
野田先生と上田先生の対談では、文学における動物の擬人化について議論が盛り上がりました。シートンは人間の視点で動物を解釈しすぎていて、実際の生態とは異なると上田先生から指摘がありました。その上で、動物に道徳を語らせるという、子どもへの教育的効果を評価しました。一方、野田先生は文学に自然科学の視点を導入することを歓迎し、それを環境文学として提示していきたいとのことでした。
現代人は世界中で自然保護に取り組んでいますが、それは人間の社会と文化を存続させることにつながっているだと思います。理系と文系の研究手法は違っていても、ありのままの世界を捉えようとしてきたことに変わりはなく、そうした試みによって、人間への理解は深められ、私たち自身を、この多義的な世界の中で成り立たせてきたのかもしれません。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。
現代人は世界中で自然保護に取り組んでいますが、それは人間の社会と文化を存続させることにつながっているだと思います。理系と文系の研究手法は違っていても、ありのままの世界を捉えようとしてきたことに変わりはなく、そうした試みによって、人間への理解は深められ、私たち自身を、この多義的な世界の中で成り立たせてきたのかもしれません。
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