まっすぐな自分
チャプレンのことば
2019/09/30
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン 斎藤 徹
まっすぐな自分
子どもは無知だと言われます。社会を知らず、礼節を知らず、遠慮を知らず、雰囲気をくむことを知らず、その幼さはときに大人たちを複雑な気持ちにします。しかし同時に、子どもは、疑うことを知らずに信じ、気持ちを消すことを知らずに想いを語り、出し惜しむことを知らずに優しさを差し出します。本当に子どもは「知らないだけの存在」なのでしょうか。むしろまっすぐな自分を生きることを知っているように思えます。
イエス・キリストは「天の国はこのような者たちのものである」と子どもを祝福しました。整えた自分を上手に生きていくことが善いとされるこの社会にあって、だからこそあえて、「子どものような」自分の声を聴きたいと思うのです。響いてくるのは煩雑で、不器用で、恰好がよくない心の声かもしれません。だけれどもそれは、整えていないからこそ誠実に、繕っていないからこそまっすぐに「わたし」を映し出してくれる鏡でもあるのです。
イエス・キリストは「天の国はこのような者たちのものである」と子どもを祝福しました。整えた自分を上手に生きていくことが善いとされるこの社会にあって、だからこそあえて、「子どものような」自分の声を聴きたいと思うのです。響いてくるのは煩雑で、不器用で、恰好がよくない心の声かもしれません。だけれどもそれは、整えていないからこそ誠実に、繕っていないからこそまっすぐに「わたし」を映し出してくれる鏡でもあるのです。
※本記事は季刊「立教」249号(2019年7月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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