池袋キャンパスへの移転

チャペルの豆知識

2018/11/28

キリスト教とチャペル

OVERVIEW

チャペルにまつわる豆知識をご紹介します。

立教大学が築地から池袋へ移転し、授業を開始したのは1918年9月。池袋への移転は本格的な大学設立の必要性を強く願うヘンリー・タッカー立教学院総理の願いにより始まります。タッカー総理は立教学院の母体ともいえるアメリカ聖公会に築地からの移転の必要性を繰り返し訴えます。築地キャンパスの狭隘化問題もありましたが、恒久的に大学教育を行う上で、交通の便の良い場所への移転を願います。アメリカ聖公会はこれに全面的に応え、それにより土地取得、校舎建築を行うことができました。当時の池袋キャンパス周辺は一面の麦畑であり、富士山が良く見えていたと言われています。

移転間もない頃の池袋キャンパス(右手の建物がチャペル)

タッカー総理の後任となったC.S.ライフスナイダー(総理、総長)のもとでキャンパス計画と校舎建築が行われます。キャンパス設計はニューヨークにあるマーフィー・アンド・ダナ建築事務所により行われます。1916年(大正5年)5月29日、チャペルの定礎式が行われ、レンガ校舎群の建築が始まります。第一次世界大戦の影響を受けて工事は遅れますが、1918年(大正7年)9月に授業を開始することができました。

レンガ校舎群(チャペル、本館、図書館、寄宿舎2棟、食堂)の完成式は1919年5月31日に行われ、来賓として出席した大隈重信は祝辞の中で、長崎においてウィリアムズ主教に師事したエピソードを話されたそうです。

関東大震災による被災と復興

しかし池袋での授業が開始された5年後、1923年(大正12年)関東大震災が起きます。その激震はレンガ校舎群に甚大な被害を与えます。ウィリアムズ主教の後任となったジョン・マキム主教は立教学院理事長をも務める主教ですが、立教学院、日本聖公会の諸施設が大震災により甚大な被害を受けたことをアメリカ聖公会に伝えます。「神への信仰のほかはすべて失った。」のメッセージとともに救援を要請します。またライフスナイダー総理はアメリカへ渡り、直接、救援を訴えます。アメリカ聖公会はこれに応え、全信徒に救援と復興募金を呼びかけ、これによりレンガ校舎群の修復工事を行うことが出来ました。

チャペルは立教の心臓である

1925年11月7日、修復感謝礼拝において、大学チャプレン山縣雄杜三は説教で次のように語ったと云われます。

「図書館、体育館、チャペルは『立教の三兄弟』と捉え『知育』『体育』『徳育』を象徴するものである。」

更に、「チャペルは立教の心臓である」とのジャパン・アドバタイザーの記事を紹介しつつ、「チャペルは、立教の特殊な色彩をもつ徳育を象徴するものである。」と述べます。

チャペル東側壁面に据えられた定礎石

ライフスナイダー総理も、1926年5月5日、立教中学校校舎の落成式挨拶で立教の教育の要点として「知育」「体育」「霊育」を挙げて、次のように述べます。

「されど本校教育の眼目点は霊育にある。即ち基督教主義によれる人格教育である。体育知育共に肝要なるは言ふまでもない。されど霊育を怠りては、真の人格教育は達成せられない。力ある宗教教育のなき所には力ある人格教育を期待し得られない。」

レンガ校舎群の中でチャペルにのみ定礎石が据えられている理由が、チャペルの重要性を表しています。
以上の文章は「立教の学び舎(RIKKYO BOOKLET 1)」および「立教の創立者C.M.ウィリアムズの生涯(RIKKYO BOOKULET 7)」をまとめた記事です。

立教学院チャプレン長 五十嵐 正司

〔『チャペルニュース』第601号2018年6・7月号/連載「立教池袋キャンパス100周年」より〕

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