今、「 愛 」を「 大切」と置き換えてみようか
チャプレンのことば
2017/09/19
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン 宮﨑 光
1600年頃刊行のキリシタン教理書『ドチリナ・キリシタン』は、「万事にこえてデウス(神)をご大切に思ひ奉る事と、我が身を思ふ如くポロシモ(隣人)となる人を大切に思ふ事これなり」と記した。これは「神を愛し、隣人を愛しなさい」というイエスの教え(マタイ22・37〜39)。「愛」を「大切」と訳した。神に向けては「ご大切」、隣人には「大切」と訳し分けてもいる。当時の日本語は「愛」を単独で使わなかったばかりか、恋愛、愛欲など感覚的肉体的意味に強く結びついたので、宣教師たちが誤解を避けて「大切」という言葉を選んだという。
時を経た今、改めて「大切」に置き換えて、「愛」をとらえてみてはどうだろう。「愛する家族」を「大切な家族」と。「愛する友」を「大切な友」と。「私の愛する人」を「私の大切な人」と。口に出してみるとなおさら、「タイセツ」という言葉が、親近感と同時に敬意を、そして本心に近い思いを表現してくれるような気がする。
時を経た今、改めて「大切」に置き換えて、「愛」をとらえてみてはどうだろう。「愛する家族」を「大切な家族」と。「愛する友」を「大切な友」と。「私の愛する人」を「私の大切な人」と。口に出してみるとなおさら、「タイセツ」という言葉が、親近感と同時に敬意を、そして本心に近い思いを表現してくれるような気がする。
※本記事は季刊「立教」241号(2017年7月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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