神がいるところ
チャプレンのことば
2017/04/10
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン 斎藤 徹
神がいるところ
幼い子どもに、神がいるところを尋ねられた。どう答えたか覚えていないが、その問いには、神を感じようとする心が添えられていた。その時に私が「天にいる」、「神の国にいる」と場所を示したのだったとすれば、その子の想いに応えられていなかっただろう。
神は預言者エレミヤを遣わす時、恐れるエレミヤに「わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」(エレミヤ書1章8節)と語りかけた。そこに込められた神の想いが、エレミヤの恐れをほどき、預言者として歩んでいく理(ことわり)となっていった。その理が、エレミヤを支え導き続けていく。
私たちが神を探し求める時、それは何かの要因で神を必要としている時だろう。そして神はどこかと見回してみる。しかし神は、場所や場面ではなく「わたしと共に」いるのだ。神を感じようとする心が、「わたし」を包んでいる神の温もりを知らせる。その神の確かなあたたかさが、私たちを支え導こうとしているのだ。
神は預言者エレミヤを遣わす時、恐れるエレミヤに「わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」(エレミヤ書1章8節)と語りかけた。そこに込められた神の想いが、エレミヤの恐れをほどき、預言者として歩んでいく理(ことわり)となっていった。その理が、エレミヤを支え導き続けていく。
私たちが神を探し求める時、それは何かの要因で神を必要としている時だろう。そして神はどこかと見回してみる。しかし神は、場所や場面ではなく「わたしと共に」いるのだ。神を感じようとする心が、「わたし」を包んでいる神の温もりを知らせる。その神の確かなあたたかさが、私たちを支え導こうとしているのだ。
※本記事は季刊「立教」239号(2017年1月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
CATEGORY
このカテゴリの他の記事を見る
キリスト教とチャペル
2024/11/11
道の途上にて—立教学院創立150周年に思う—
チャプレンのことば