~人間こそが神の願望の反映~
チャプレンのことば
2016/08/22
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン 中川 英樹
人間こそが神の願望の反映
出エジプト記に記憶された「十戒」は、人間が自らを絶対化することへの警告だと言われている。ことの善悪や正誤の判断は全てを包摂する神に帰せられるものである、というのが十戒の底流である。その十戒の第二戒は「あなたはいかなる像も造ってはならない」と、神に形を与えることを禁じている。本来、神は人知による分別を超えたところに存在する方であって、その神に人間が形を与えるということは、人間の意識下に神を引き下げること、つまりは人間が神を支配する、神に成り代わるという、神に対する不遜を意味している。そうした人間に形を与えられた神が「神である」とされ、その神こそが「義(ただ)しい」と崇拝されるとき、そこに大きな悲惨と不幸が生じることは歴史が証明している。
人間に形を与えられた神。それは単に人間の願望の「写し」でしかない。その願望に向かってひれ伏したり、仕えることを十戒は厳しく戒めている。神は決して人間の願望の反映ではない。人間こそが神の願望の反映なのだ。神の願望とは、わたしたちを創られた神以外を神とせず、自らを低くして神が愛されたように人を愛するということである。それこそが人間が神から与えられた唯一の「義しさ」であると信じる。
人間に形を与えられた神。それは単に人間の願望の「写し」でしかない。その願望に向かってひれ伏したり、仕えることを十戒は厳しく戒めている。神は決して人間の願望の反映ではない。人間こそが神の願望の反映なのだ。神の願望とは、わたしたちを創られた神以外を神とせず、自らを低くして神が愛されたように人を愛するということである。それこそが人間が神から与えられた唯一の「義しさ」であると信じる。
※本記事は季刊「立教」237号(2016年7月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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