記念の銘板(池袋チャペル)

チャペルの豆知識

2016/01/01

キリスト教とチャペル

OVERVIEW

チャペルにまつわる豆知識をご紹介します。

池袋チャペルに入って目につくことの一つは、壁面のいろいろなところに金属製の銘板が掲げられていることではないでしょうか。これらは、英語ではメモリアル・プラーク、またはタブレットと呼ばれ、チャペルと何らかの関わりを持ち、天に召された方々を記念する意図のものです。

逝去者を記念するこれらの銘板がチャペルに掲げられることには、単なる思い出の記録を超えた意味があります。キリスト教では、「聖遺物」と呼ばれる聖人の遺品や遺骸を尊ぶ風習が古くから大切にされており、特に聖堂を建てる際に祭壇の下に聖遺物を収めなければならないとされたことなどを考えると、この風習には「聖人たちと共に祈る」という意図が含まれていたと考えられます。

立教のチャペルでも、ここで祈りを捧げてきた多くの先人たちを思い起こすよすがとして、これらのプレートを大切にしたいと願います。今回はその中で、祭壇に向かって左手の入口近くに掲げられている、「神の僕」という銘板を紹介したいと思います。

この銘板が記念するチャールズ・ペリー先生は、1951年に米国聖公会宣教師の立場で立教大学文学部史学科に教授として赴任されました。温厚な人柄で、ケアリー夫人も英米文学科で英語を教えられ、2人とも多くの人々に慕われていました。ご家族は、キャンパス内の教員住宅(今の太刀川記念館のあたり)に3人のお子さんと共に住んでおられました。

1959年11月26日、この幸せな生活に突然の悲劇が襲います。酒に酔った他大学の学生2人がペリー先生のお宅に石を投げ込み、それをとがめた先生に一人が殴りかかりました。この際に倒れて頭を強く打ち、脳内出血が原因でまもなく逝去されました。この時、「あの青年を許してやってほしい。わたしには彼を罰する気持ちはない。ただ、酔いが醒めたら自分のあやまちを教えてやって欲しい」とペリー先生が言い残して亡くなったことは、多くの人々に深い感銘を与えました。

ペリー先生を死に至らしめた学生は、2歳で父を亡くし、母が女手一つで5人の姉弟を育て上げたその末っ子でした。葬儀の翌日、この母親はもう1人の学生の父親と共にケアリー夫人を訪問します。会ってはくれるまいと思いながらの訪問でしたが、夫人は彼らを迎え入れて共に祈り、そのあと母親に歩み寄って暖かく抱擁し、目にいっぱい涙をためてこう言いました。「主人は息子さんを許すように申しました。それでいいのです。わたしも同じ気持ちでいるのですよ。」夫人の腕の中で、母親は声を上げて泣きくずれました。

ペリー先生とケアリー夫人の遺灰の一部は、チャペル前方壁面左手に納められています。地上での証し人としての生涯を終え、今は天国で祈っておられるお二人を始め、チャペルでの祈りの時には多くの先人たちが共に祈っていてくださることを大切にしたいものです。

立教池袋中学校・高等学校チャプレン 市原 信太郎


〔『チャペルニュース』第585号 2015年11・12月号/連載「チャペルのタカラモノご紹介します!」より〕

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