0.5%の可能性を信じて——2019年度主将、2年後の国体に向けて走り出す

自転車競技部

2020/11/24

アスリート&スポーツ

OVERVIEW

偉大な選手が十字のユニフォームを脱いだ。2020年2月23日、明治神宮外苑にて行われた全日本学生ロードレース・カップ・シリーズ(RCS)最終戦で、19年度自転車競技部主将・橘田和樹(20年3月現卒)が引退。レース後、橘田の下にはチームメートやOB、他大学の選手までもが駆け付けた。10年間、「立教」の選手として走り続けた男の雄姿がそこにはあった。

波乱万丈の競技人生

全日本学生選手権クリテリウム大会。落車しけがを負ってもなお走り切った

栄光と挫折。橘田のこれまでの競技人生を表すにふさわしい一言だ。忘れもしない、立教新座高等学校最後の夏。主将としての期待を一身に背負って挑んだインターハイは11位。全国入賞の夢がはかなく散った。「壁を感じて終わった」。悔しさを胸に刻み、大学へと進んだ。

スタートは順調だった。初のインカレでは、個人種目は振るわなかったものの団体種目で立教記録を更新。16年度の全日本学生RCS最終戦では、大学最高峰のクラス1に昇格を果たす。しかし、2年次に出場したレースでは度々集団から遅れ、完走することもままならなかった。「全日本やインカレで入賞したい」。高校時代に届かなかった全国入賞への執念が、皮肉にも足かせとなっていた。

転機は3年次、インカレのトラックレースで訪れた。橘田はエースとして競輪場で行われるオムニアムに出場。目標の全国入賞には遠い状況の中、集団から飛び出す大勝負に出る。その決断が功を奏し、逆転で入賞を果たした。自分の走りが全国に通用している。悲願達成はこれ以上ない喜びだった。

しかし、2週間後に行われたインカレのロードレースでは完走を果たせなかった。負けたのに悔しさがない。入賞に満足して、気持ちが緩んだ自分がいた。「次の全日本トラックを本気で走れるかどうか」。今後の競技人生を占う試金石として、気持ちを切り替え挑んだ全日本自転車競技選手権大会・トラックレースの結果は8位。プロ選手と対等に渡り合ってみせた。「まだやれる」。自信は確信へと変わった。年明けの全日本学生RCS第12戦では自身初のクラス1優勝。4年次の全日本トラックでも再び入賞を果たし、大学トップ選手へと昇りつめた。

※オムニアム:自転車トラックレースの複合競技。4種目の成績をポイントに置き換えて順位を決定する

自身初のクラス1優勝を果たした2018年度全日本学生RCS第12戦。手を高く掲げ、喜びを表す橘田

大学最後のインカレロード、スタート前の様子

生粋の自転車好き

現在はプロ選手として活躍する孫崎(写真右/当時早稲田大学所属)とも競った

大学卒業後は栃木県で仕事に就く傍ら、県内のチームで競技を続ける。目標は22年に行われる栃木国体。プロ契約ではないため、費用も時間もかかる。もしけがをしたら仕事にも支障が出るだろう。それでも競技を続けようと思えるのはなぜか。「自分が一番好きなもので、日本一になれたらカッコいいから。可能性は1%もないけど、0.5%あるなら勝てる。200回くらい挑戦すれば」。一点の曇りもない表情で言葉を紡いだ。10年間、何度も挫折を味わい引退を考えた。それでも燃え尽きず走り切れるのは、勝利の執念に似た「夢中」があるからだった。

——5年間。高校ではサイクル部(自転車競技)の後輩として、大学では記者として背中を追い続けた。引退レースの取材中、観客に所属を聞かれ「立教」と答えると橘田の話に。いつの間にか、その背中は「ストイックな先輩」から「立教の誇る自転車選手」へと変わっていた。生粋の自転車好きが日本を制する瞬間を心待ちにしている。お疲れ様でした。
「立教スポーツ」編集部から
立教大学体育会の「いま」を特集するこのコーナーでは、普段「立教スポーツ」紙面ではあまり取り上げる機会のない各部の裏側や、選手個人に対するインタビューなどを記者が紹介していきます。「立教スポーツ」編集部のWebサイトでは、各部の戦評や選手・チームへの取材記事など、さまざまな情報を掲載しています。ぜひご覧ください。

writing /「立教スポーツ」編集部
経営学部経営学科3年次 澤部衛

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