日常の小さくて尊い物語を曲で届けて誰かの気持ちの代弁者でありたい。

wacci(Vocal & Guitar) 橋口 洋平さん

2022/02/08

立教卒業生のWork & Life

OVERVIEW

社会学部現代文化学科を卒業し、現在はポップバンド「wacci」のボーカル&ギターとして活躍する橋口 洋平さんにお話を伺いました。

始まりは路上ライブ 自分の外へ大きく踏み出した

音楽活動のスタート地点は、立教新座高校1年のとき。隣のクラスの友だちと2人で路上ライブをしたのが始まりです。アコースティックギターを弾きながら歌うフォークデュオスタイルで、最初はその頃流行っていた曲を演奏していたんですが、すぐにオリジナル曲を作り始めました。と言っても楽曲制作の知識なんてないので、見よう見まねでコードを弾いて、メロディをつけて、歌詞をつけて…。完成した第1曲目は「ポリシー」というタイトルで、“うまくいかないことがあってもかまわないよ~”というような、今思うと非常に内容の薄い曲なんですが(笑)、当時、僕は人との接し方や自分の性格に悩んでいて、その曲は自分への応援歌でもあったんです。そもそも路上ライブをやってみようと思ったのも、引っ込み思案で考え過ぎる自分を断ち切りたいと思ったから。そして勇気を振り絞って大きな声で歌ってみたら、一気に世界が開けました。自分たちが作った曲に足を止めてくれる人、声をかけてくれる人が現れて、たくさんの人とつながれたこともすごく嬉しかった。自分で自分の居場所を切り拓く喜びというのでしょうか。そんな経験を重ねて少しずつ自信がもてるようになって、自分の外へ大きく踏み出すことができた高校時代でした。

軽音楽部での日々はカルチャーショックの連続

立教大学では軽音楽部(RLMS)に入部しました。ここはR&B、ファンク、ジャズ、ソウル、ブルース、ポップスと幅広いジャンルを演奏する部で、しかもライブ毎にバンドを組み直すので、いろいろな人といろいろな音楽ができるんです。みんな楽器がうまくて、知識も豊富で、その中で僕は自分の音楽の狭さを痛感する毎日。初めてコーラスを担当したときは本当に全然できなくて、先輩にめちゃくちゃ叱られました。それまで、ただ路上で友だちと歌って楽しいという人間だったのが、音楽スキルの高い人たちに囲まれて、大所帯のバンドに加わって、まさにカルチャーショックです。音楽の難しさと深さを知ると同時に、多様なメンバーと一緒に演奏するってこんなに楽しいものなんだと開眼しました。立教の軽音楽部がなかったら、僕の音楽人生は今とは違うものになっていたでしょう。
社会学部では、高木恒一先生のゼミで集合住宅について研究したことが印象に残っています。当時、六本木ヒルズのプロジェクトが進行中で、その地権者の方にインタビューを行い、デベロッパーの方にも話を聞いて、両者の視点を取り入れながら調査した結果をレポートにまとめました。こうした社会調査が僕は好きだったんですが、それは、世の中のさまざまな現象に名前をつけたり、文章で説明したりすることを面白いと感じていたからです。そう考えると、モヤモヤした感情を歌詞で言語化するという、当時も今も自分がしていることに通じるものがありますね。あの頃それを意識していたわけではないけれど、振り返ると、どんな足跡も今の自分につながっているんだなと感じます。

今度こそ音楽で食べていく  自分を信じて賭けてみよう

大学卒業後は一般企業に就職しました。音楽に対する思いはもちろんありましたが、就職活動や社会人生活という多くの人が通る道に自分も挑戦してみたくて、それに、どんな環境でもやりたい気持ちがあれば音楽をやるだろうと思っていたので、就職することに迷いはありませんでした。余談ですが、今お世話になっているソニーミュージックの採用選考も受けたんですよ。三次面接あたりまで進んで、「音楽をやっているそうですが演者としてやっていきたいんですか?支える側ですか?」と聞かれたとき、思わず「演者です」と答えてしまって、そのせいではないでしょうが見事落ちました。ソニーの方に会うたび、いまだに言っているんです。「僕を落としたのは誰ですか」って(笑)。めぐりめぐって今、本当に演者としてソニーのレーベルに所属しているわけですから不思議な気もしますし、やっぱり道はつながっている気もします。

会社員生活を送っている間も音楽活動は続けていて、ライブハウスでも定期的に演奏していました。そこで知り合ったのが現在のメンバーで、2009年12月に5人でライブをしたのがwacciとしてのスタートです。その前に組んでいたバンドでもデビューが決まりかけて一度会社を辞めたんですが、うまく事が運ばず、再び仕事を探して就職したりとそれなりに紆余曲折あったので、wacciで今の事務所に所属することが決まったときは、今度こそ音楽で食べていくんだと決意しました。そのとき20代後半だったのでこれがラストチャンスだと思っていたし、それはほかの4人も同じで、全員仕事を辞めて音楽一本に絞ったんです。音楽を好きでここまで続けてきた自分を信じて、賭けてみようという思いでした。

wacciの曲が誰かにとって大切な1曲になればいい

曲を書くうえで、絶対これを伝えたい、世の中を変えたいというようなものは僕にはありません。ただ一つだけあるのは、誰かの気持ちの代弁者でありたい、誰かのテーマソングでありたいということ。自分が日常で感じたことを歌にして、それに共感してくれる人がいると一人じゃないと思えるし、シンプルに嬉しいじゃないですか。その延長線上で、wacciの曲が誰かにとって大切な1曲になればいいなと。

コロナ禍では音楽業界も大きな打撃を受けて、僕らも立ち止まらざるを得ないときがありました。けれど、それで書く曲の内容が変わったかというとそんなことはなくて、むしろコロナ禍を機に、過去にリリースした中からあらためて注目してもらえるようになった曲がけっこうあって、たとえば2015年の夏に出した『大丈夫』という曲ですとか、応援歌を今まで以上に聴いてもらえるようになったんです。これまで「誰かの背中を押すことができたらいいな」と思いながら曲を作ってきたことは間違いじゃなかったよ、と答案用紙にマルをつけてもらえたように感じて、僕自身が励まされました。

夢を追いかける途中で叶っていく小さな夢を大切に

昨年11月には、日本武道館で念願の有観客ライブも実現できました。その一年前の武道館がコロナの影響もあって無観客生配信ライブになったので、次は必ず有観客でと思っていたんです。お客さんのいる武道館は、拍手が降ってくるような感覚も、自分たちの曲がすごい力をもって届いていく感覚も、すべてが特別で宝物のような時間でした。ここにたどり着くまでのwacciの思い、スタッフの思い、お客さんの思いが一体化して、そのみんなの思いをつないでくれた楽曲たちが広大な空間を彩っていく様が目に見えるようで、音楽で一つになっているという感覚を今までで一番感じられたライブだったと思います。

音楽活動を始めてから20年以上、wacci結成からは12年が過ぎました。これまで叶わなかった夢もたくさんあるけれど、夢を追いかける道の途中で叶ったことも数え切れないほどあります。まずミュージシャンになれたし、いいメンバーに出会えたし、音楽で食べられるようになったし、ミュージックステーションに出演できたし…。自分がなりたいものになろうとする日々の中で、少しずつ夢が叶っていく。これは僕に限らず、多くの人の人生に当てはまることだと思います。その叶った何かが小さくてもそれは本当に尊いもので、「夢を追いかけてきてよかった」という自信や原動力に必ずなるから、僕はそんな物語のひとつひとつを大切に、これからも誰かの背中を押すことができるような曲を作っていきたい。この思いは、路上で歌っていた高1の頃から変わっていないんですよ。

文/水元真紀 写真/平尾健太郎

プロフィール

PROFILE

橋口 洋平(はしぐち ようへい)

1983年東京都出身。立教新座高等学校2002年卒、立教大学社会学部現代文化学科2006年卒。
5人組ポップバンド「wacci」のボーカル&ギター。2012年にメジャーデビュー。バンドのほぼすべての楽曲の作詞・作曲を担当。聴く人にそっと寄り添うような作品は数々のドラマやアニメの主題歌、CMソングに選ばれ、幅広い世代に共感を呼んでいる。


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